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中国ドラマ「独孤皇后~乱世に咲く花~」

ドラマ 視聴レビュー

現在「BS12 トゥエルビ」の毎週月~金曜 夕方6:00~放送されている「独孤皇后」について、感想を交えた考察を書いていこうかな…と思い、完結していない状態ですが書き出してみました。

先月一挙視聴した「独孤伽羅」との比較を「独孤皇后」完全視聴後に感想と共にしようと思っていますが、現在26話まで放送を終えていて、ほぼ半数の話数を消化している状態です。
そんな進捗状況下、色々気になるところが出てきましたので、考察メインで書いていきます!

独孤皇后 第26話の放送を終えて

現在、宇文邕が皇帝となっていて、楊堅の父・楊忠が亡くなったところです。

「独孤伽羅」では楊忠は病死し、その後3年ほど楊堅たちは喪に服すため官職を降り故郷に帰ることにして、その機に宇文護は楊堅を暗殺しようとするも麗華の存在を知り、結局暗殺は取りやめ楊堅たちを逃がしました。そしてその後、宇文邕の策にハマり宇文護は暗殺されてしまう流れでした。

ですが「独孤皇后」では、楊忠が病で弱っているところを狙った宇文護の手の者に暗殺されてしまいましたし、今日の放送(あらすじ)では、斉との戦に楊堅を駆り出そうと宇文護が命を下すようですね。

まあ宇文護亡き後の周では、楊堅は将軍として武帝(宇文邕)に仕え、最強の武将になっていくという流れがあるわけですから、そういう部分は随国建国にも関わってくる部分なので、伽羅でも皇后でも同じ展開だと思っています。

斉が舞台のドラマとの比較

ですが、ここで少し別のお話、中国ドラマ「蘭陵王」に触れたいと思います。
「蘭陵王」は、これから楊堅が滅ぼす斉という国の将軍(王族)高長恭が主人公のドラマです。

ちょうど宇文邕の時代の周とリンクしているドラマで、斉を宇文邕と一緒に攻めたのは「尉遅迥」でした。勿論「蘭陵王」のドラマ序盤の戦なので、結果としてもうすぐ斉を攻め滅ぼせる…というタイミングで、宇文邕に力を付けさせたくない宇文護の邪魔が入り(尉遅迥の家族を人質に取り、尉遅迥に周へ戻る命令が出された)止む無く敗戦となってしまいます。

そして宇文護の罠で、尉遅迥は敗戦の責を取らされ「五馬分屍(八つ裂きの刑)」となるところを、宇文邕により不敬の罪(宇文護を呼び捨てにした罪)としてその場で斬り殺されてしまいました。

宇文護から助ける力を持たない、傀儡皇帝である宇文邕の情けでしょうね。
生きたまま罪人として、国中の民の前で四肢を引き裂く刑を実施されるより、尉遅家の名誉も守れ、苦しまずに死を迎えられた訳ですから…。

「蘭陵王」では、これにより宇文邕が信頼できる部下(武将)の一人を失う…そういう展開でした。ただこちらのドラマでは、楊忠や楊堅はまだ宇文邕の側近ではないようですね。

それにしても、こんなに早く尉遅迥にご退場されてしまうと、楊堅が宇文邕の孫の宇文闡から帝位を簒奪しようとしていることに気付いて起こす「尉遅迥の乱」はどうなるのでしょうか?
その頃には、高緯によって蘭陵王が自害させられてしまっていて、斉も滅亡しているから、このドラマ的には、そんな斉の存在しない未来の史実はどうでも良いのでしょうか?

とにかくこの時点での「蘭陵王」の物語は、斉の皇帝・高湛はまだ健在で(と言っても病が悪化してきている雰囲気ですね)愚王となる高緯が皇太子である時期なので、少し「独孤皇后」の26話の時期と比べるとズレがありますね。

宇文護が斉の皇帝は愚王だから、楊忠には斉との戦に出てもらい、滅ぼしてもらっている間に長安の都を私兵で固み帝位を我が物とする計画をしていたので、おそらく第26話辺りの斉は既に高緯が皇帝に付いており、蘭陵王は牢に閉じ込められてしまっているか、既に自害させられているのかもしれませんね。

隋国が舞台になるのは?

独孤伽羅では全55話中の54話で、楊堅が隋を建国し初代皇帝となり、宇文一門(男6名)を皆殺しし、梁と陳を滅ぼし、天下統一を成し遂げました。

そして55話で宮女の繁葉と共寝してしまい、伽羅によってその宮女は殺されてしまったことを知った皇帝が「皇帝なのに自由がない」と家出してしまう事件発生。
しかしその宮女は、楊堅の簒奪を阻止するために挙兵し、尉遅迥の乱を起こした尉遅家縁の娘であったと判明したため、伽羅は排除したまでのこと…と知り、夫婦仲直り後、伽羅死亡…という結末でした。

それに対して、独孤皇后では、もう少し早く隋が建国されるようですね。
どうやら全50話中の40話で、宇文闡から楊堅へと禅譲され「隋」の初代皇帝となるようです。

楊堅と伽羅の間に亀裂を入れた尉遅迥の孫娘

Wikipediaによると、楊堅の后妃は、皇后である伽羅を含めて5人。
皇后・独孤伽羅、宣華夫人陳氏(陳の後主の妹)、弘政夫人陳氏(陳の後主の妹)、容華夫人蔡氏、尉遅氏(尉遅迥の孫娘)で、とても嫉妬深かった伽羅は、楊堅が尉遅迥の孫娘を寵愛したことを知り、密かにその娘を殺させた、と書いてありました。

しかし側室対象の女性が悲運な女性である場合などは、側室と迎えることを容認するケースもあったらしく、陳の後主の妹・宣華夫人などがその最たる例であったようです。
この宣華夫人は、伽羅が亡くなった後、楊堅に寵愛されたようですが、その後、楊堅の息子の楊広の寵姫にも納まっている女性でもあるそうです。

この女性を巡って、楊堅・楊広親子は確執が生まれてしまい、楊堅が皇太子を楊広から長男の楊勇へ戻そうとしたところ、突然死した…とも、息子の楊広に殺されたとも言われています。

つまり結論から言うと、楊堅って、本当に伽羅以外の女を見る目がないよね…。(伽羅が恐妻すぎて、正反対のタイプであれば誰でも良かったのでしょうか?)

実際に寝食も仕事場も常に妻が一緒で目を光らせていたのであれば、自由はなかったかもしれないし、そりゃあもう「伽羅のせいで…息ができない」とか不満を持っても仕方ないとは思いますがね…。

楊堅が帝位を簒奪しようとしている計画に気づき、邪魔をした尉遅迥の孫娘(独孤伽羅では曼陀似の尉遅繁葉、独孤皇后ではおそらく逆怨み娘の尉遅文姫かな?)の尉遅氏を寵愛するとか、自分の息子と親子丼をする宣華夫人陳氏を寵姫とするとか、一夫一妻制を強いられたストレスだったのか、正気の沙汰ではないと思ってしまいます。

特に「武則天」なんかを見ても、2代の皇帝に愛されて、絶対なる権力を持ち、我が子に帝位を継がせた時期を「唐」ではなく「武周」と呼ばれ、簒奪者扱いされてますが、宣華夫人陳氏とどう違うの?って思いますよ…。

たまたま楊広が暴君で李世民の父ちゃん(曼陀の息子・李淵)に簒奪されてしまって、皇帝の母になれなかっただけで、女の性(さが)的なレベルで言えば、同等ですよね。

ん?こう言ってしまうと、武則天側から見たら、あの程度の者(男に依存するだけの者)と女帝クラスの自分を一緒にするなレベルになるのでしょうか??

今後の見どころ・注目したいところ

ともかく、独孤伽羅では語られなかった、楊堅と伽羅の子供たちの確執や、隋が建国されてからの楊堅と伽羅の二人の関係性の変化など、注目したいと思います。

あと「独孤伽羅」と「蘭陵王」というドラマのおかげで、私は割と「宇文邕スキー」なのですが、このドラマでの宇文邕はかなりダメダメっぽい人物像で描かれているので、宇文護を倒してからの宇文邕の言動やご乱心ぶりも気になります。

最近視聴したドラマに、この時代を舞台にしたモノが多かったおかげで、非常に中国の歴史に興味を持つキッカケになりました。

実際に宇文一門を楊堅が皆殺しにしたのであれば、三番目の弟の嫁・宇文氏(ドラマでは宇文珠)は、その後どうなったのだろう…とか、二番目の弟の嫁・尉遅氏(尉遅迥の弟である尉遅綱の娘。ドラマでは尉遅容)も「尉遅迥の乱」後の身の置き場は??…なんと言っても楊堅に対し反乱を起こした尉遅迥と共に挙兵した尉遅勤の兄妹(姉弟?)にあたるわけですからね…。

独孤伽羅では、楊堅が皇帝になった後、遠方に追いやられていた独孤家の兄弟たちには報いていたようですが、楊堅の兄弟については一切語られていませんでしたから、尚更気になってしまいます。

このドラマの視聴後「蘭陵王妃」や「後宮の涙」もちょっと観てみたいと思っていますが、この辺の歴史もちょっと調べて学んでみたいものです!(ちなみに「蘭陵王」は現在17話まで観終わってまして、残り20話です。)

本日は、長々とデイコの語りにお付き合いくださいまして、ありがとうございます。
ここまでお読みくださった方、本当に感謝いたします。